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"THE WILL" TOKIO NAMURA
"THE WILL" TOKIO NAMURA
 


注目の推理サスペンス・電子書籍・正規版発売(2013年7月)
アマゾン・Kindle楽天コボひかりTVブック
7netBook Place漫画全巻ドットコムreadmoo


 2012年1月
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
              PART I/2位初登場

 2012年2月
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」PART I/首位
 NEOWING「PVランキング」 PART I/首位

 2012年3月
 NEOWING「PVランキング」 PART III/首位

 2012年4月
 楽天 外国語小説部門「注目ランキング」PART III/首位
 楽天 外国語小説部門「注目ランキング」PART II/2位
 楽天 小説・エッセイ「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占

 2012年5月
 楽天 小説・エッセイ「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占

 2012年6月
 NEOWING「PVランキング」PART III/首位
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART III/首位
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART II, III/首位、2位独占

 2012年7月
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART I, III, II/首位、2位、4位

 2012年8月(抜粹)
 楽天 小説・エッセイ部門「注目ランキング」(PART I 首位)
       PART I, III, II/首位、2位、3位独占
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」(PART III 首位)
       PART III, I, II/首位、2位、3位独占
 NEOWING「PVランキング」
       PART II,III,I/首位、2位、3位独占

 2012年9月(抜粹)
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」(PART I 首位)
       PART I, III, II/首位、2位、3位独占
 楽天 小説・エッセイ部門「注目ランキング」(PART I 首位)
       PART I,II,III/首位、2位、3位独占
 NEOWING「PVランキング」
       PART III,II,I/首位、2位、3位独占
 楽天 本・雑誌・コミック総合部門「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占

 2012年10月(抜粹)
 楽天 プロダクトランキング/本・雑誌・コミック総合部門
       「注目ランキング1位」 PART II
 楽天 本・雑誌・コミック総合部門「注目ランキング」
       PART II, I, III/首位、2位、3位独占
 楽天 小説・エッセイ部門「注目ランキング」(PART I 首位)
       PART I,II,III/首位、2位、3位独占
 NEOWING「PVランキング」
       PART III,II,I/首位、2位、3位独占

 2012年11月(抜粹)
 楽天 ミステリー部門「注目ランキング」
       PART I, II, III/首位、2位、3位独占
 楽天 小説・エッセイ部門「注目ランキング」
       PART I,II,III/首位、2位、3位独占
 NEOWING「PVランキング」
       PART II,I,III/首位、2位、3位独占
 楽天 本・雑誌・コミック総合部門「注目ランキング」
       PART I/首位
 楽天 本・雑誌・コミック総合部門「注目ランキング」
     PART II/首位

 2012年12月(抜粹)
 NEOWING PVランキング
  PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 ミステリー部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 小説エッセイ 注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 プロダクトランキング 本・雑誌・コミック総合部門
PART 1/首位, PART 2/首位, PART 3 /4位

2013年1月(抜粹)
 NEOWING PVランキング
  PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 ミステリー部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 小説エッセイ 注目ランキング
      (317,862冊中)
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 プロダクトランキング 本・雑誌・コミック総合部門
      (4,137,767冊中)
PART 1, PART 2, PART 3/首位独占

2013年2月(抜粹)
 NEOWING PVランキング
  PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 ミステリー部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 小説エッセイ 注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 プロダクトランキング 本・雑誌・コミック総合部門
       PART 1/首位, PART 2/3位, PART 3/5位

2013年3月

 NEOWING PVランキング
         PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 ミステリー部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 小説エッセイ部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 プロダクトランキング 本・雑誌・コミック総合部門
       PART 1,PART 2,PART 3/首位、2位、4位

2013年4月
 NEOWING PVランキング
         PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 ミステリー部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 小説エッセイ部門注目ランキング
       PART 1, PART 2, PART 3/首位独占
 楽天 プロダクトランキング 本・雑誌・コミック総合部門
       PART 1, PART 2, PART 3/首位,4位,6位

 発売以来、驚異的な注目度を集める
 長編推理サスペンス小説。


 楽天全書籍(4,021,489冊)
「注目ランキング」

首位(金)二位(銀)三位(胴)独占
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 プロダクトランキング
 出版物総合トップ
 10月3日
 
 本・雑誌(総合)部門
 首位、2位、3位独占
 9月24日
 
 小説・エッセイ部門
 首位、2位、3位独占
 9月24日
 
 ミステリー・サスペンス部門
 首位、2位、3位独占
 11月1日
 
 外国の小説部門
 首位、2位独占
 4月7日
 
 NEOWING
 PVランキング
 首位、2位、3位独占
 9月10日
 
★上右の画像をクリックすると拡大します。





 各種ランキングで152回首位となった爆発的な面白さ


 血塗られた「血文字の遺言」を阻むのは、 英雄か狂人か。
 謎の糸が解れると、夢寐の欠片が理路整然と整合していった。

 「比類無き筆力」「構想力」「表現力」に溢れる傑作文学。
 「不思議な可笑し味」と「深い思想」に満ちた三部作。

 鬼才・名邑十寸雄が贈る交響楽的叙事詩
 あらゆるジャンルを超えたブッフェ小説の傑作!



 YAHOO ショッピングに寄せられた書評例



 「これこそ本当の謎解きと推理文学の世界を見直しました。古今
 の名作を思い出しても比較する対象さえ思いつかない傑作です」

 「この作品に触れたら他の謎解きは馬鹿馬鹿しくて読めません」

 「前代未聞の最高傑作です。これ程深く読み応えのある小説に
 初めて出会いました。本当の感動とはこれだと自信を持って
 いえます」




 抱腹絶倒! ブログ大評判〜〜〜増殖中。

   「名邑十寸雄の手帳」絶賛公開中

    名邑十寸雄・特別インタビュー(上下)
    http://blog.readmoo.com/2013/05/09/japan1/
    http://blog.readmoo.com/2013/05/09/japan2/


   

              [著者プロフィール] 名邑 十寸雄 (なむら ときお)

 1952年10月31日東京に生まれる。
 西戸山中学校、都立青山高等学校、成城大学卒業。実業の傍ら、文学他藝術の綜合知識と南禅思想の習得に努め、
 1999年に上梓した「詩集・マラッカ(詩学社)」でその圧倒的な文学表現を周知のものとした。
 以来作家活動を本格化し、12年間の沈黙を破り大作小説「血文字の遺言・三部作」を順次上梓。
 他にも未発表の傑作小説群がある。文学表現はシンプル極まりない文体、丁寧に張られた伏線の比類のない完成度、
 極限ともいえる緻密な構成の醍醐味、生命体系の真相を読む厳格な作風、そして深遠な哲学的主題表現を持ち味とする。
 喜劇的な文体と独特なサスペンス手法には、他の追随をゆるさない独自の表現世界を持つ。2000年以降台湾に在住。

 
       ●     ●     ●   
■PartT
 「海檬果殺人事件」
 目次(ハイモンクさつじんじけん)

プロロローグ 特別捜査官・郷左六
(一)   仁愛路の殺人
(二)   巨額の詐欺事件
(三)   狐の里
(四)   路傍の占い師
(五)   夢
(六)   誘導尋問
(七)   陰の依頼人


2011年12月30日初版発行
ISBN978-4-434-16358-6
C0093 \1400E
四六判上製本223頁/本体1,400円
■PARTU
 「ノスタルジア号遭難事件」
 目次

(一)   郷左六の過去
(二)   黄色い目のケルベラ
(三)   十連続殺人事件
(四)   本格捜査開始
(五)   三人の捜査官
(六)   ノスタルジア号遭難事件
(七)   死刑執行一時間前
(八)   消えた死体


2012年2月4日初版発行
ISBN978-4-434-16359-3
C0093 \1400E
四六判上製本252頁/本体1,400円
■PARTV
 「完結編 8 1/2の謎」
 目次

(一)   十億ドル強奪事件
(二)   事件の真相
(三)   暗号解読防止機
(四)   李総統の暗殺
(五)   グランド・ホテル炎上
(六)   8 1/2 の謎
(七)   入獄
エピローグ 旅立ち
血文字の遺言・外伝

2012年3月2日初版発行
ISBN978-4-434-16360-9
C0093 \1400E 
四六判上製本238頁/本体1,400円
 

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 発売/星雲社 〒112-0012東京都文京区大塚3-21-10 TEL:03-3947-1021 FAX:03-3947-1617

 発行/知玄舎 〒331-0822埼玉県さいたま市北区奈良町98-7 TEL:048-662-5469 FAX:048-662-5459
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●書評紹介

 「小説の枠を超えた壮大な宇宙」

  深海 青兒(図書評論家)


     


 ほんものと言う言葉が、虚語となりつつあるように思う時がある。商業主義の競争社会で、インスタント商品の宣伝文句に使われる程度でしか日常ではお目に掛かれない。傑作と言う言葉も乱用されている。大方の読者は、傑作と云う表現に疑いを持つに違い無い。巷間で使われるケースは、殆どが利益目的の宣伝文句である。文学に関しても、ほんものや傑作と言う形容に相応しい作品が、人類の歴史上何作あるかと疑う読者諸氏も多い事だろう。

 『血文字の遺言』がほんものであり傑作であるという評価を、広範な読者層に期待する事は難しいかも知れない。一筋縄で正しい姿の捉えられない作品である。しかしながら、精読或いは再読する多くの読者が、過去の名作群に類の無い感銘を受ける点は疑う余地が無い。文学の世界には芸術的根拠の曖昧な分類があるが、どのジャンルにせよこの作品の名を加える事によりほんものや傑作と云う言葉の本来の意味が取り戻せる様な気さえする。

 名邑十寸雄著『「詩集・マラッカ』(詩学社刊)に、次の様な詩句がある。
                   
  マラッカの海は日々の殺戮を黙認しながら 永遠の存在を信じて疑わない
  マラッカの海は何もかもに絶望しながら  何一つをも諦めない

  何かを手に入れた時に 失望が始まり
  何もかもを失った時に 光が見える

  潮を吹き上げる巨大な鯨が
  泥の河から マラッカの海へと泳いで行く
  鯨は何処にも向かっていない
  だから ほら
  もう あんなに遠い処まで行ってしまった

 インド洋を臨む光景に浮かぶ残酷な程素朴な表現には、詩的な美が削り取られた思想の極みが感じられる。難解な表現はどこにも見当たらないが、常識や論理の枠を超えた詩魂を捉えるのはそう容易ではない。『血文字の遺言』には、上堂右情作として幾つかの詩がそのまま引用されている。上堂右情は、詩も詩人も嫌っている詩人である。矛盾した形容である。息子の上堂右近は「何処へ向かっているのか」と言う師の疑問に対して、「私は何処へも向かっていない」と笑みを浮かべながら答えた後に、毅然として死刑台に向かう。又、著者はこの壮大な物語の終焉を「やがて鯨の群れは、幾条もの潮を吹き上げながら、大きく輝く柿色の夕陽の彼方に去って行った」と了している。二つの作品には、共通した思想が底流に流れている。

 『血文字の遺言』の主人公・郷左六は、悟りは想念の尽きた処にあると言う。その言葉の前提には積み重ねた苦悩と経験があり、推敲の過程が無駄だと言っている訳ではない。演技をしない演技も、何かを得ようとしない座禅も不為禅が根底にある。静香を諭すエピローグでも愛の本質は愛の尽きた処にあると言うが、西欧流の愛と言う語が解体され真の語意がおぼろげに見えてくる。第一部の占いの場面で引用される「本来無一物。無一物中無尽蔵」という言葉に『血文字の遺言』総体を包む基本姿勢がある。理屈で考えると矛盾である。だが、執着を放下すると捨てたものの真の姿が浮かび上がり、無尽蔵の答えが見えてくる。弁証法の正反合の様な論理思考とは異なり、矛盾の総体を捨てるダイナミックな放下論理が禅思想の特徴である。『血文字の遺言』は推理小説の様式を取っているが、著者の意図は単なる犯罪事件の謎解きでも禅の教えを伝える事だけでもない。この世の真相と正しい見地を捜すミステリーと捉えると、名邑十寸雄の深遠な作風が理解出来る。愛や孤独や悟りの概念も、乱用され虚語となりつつある言葉の本質が描かれている。究極の解答を捜すのは容易ではないが、作品全体に流れる素朴な描写が全て答えなのだと思えてくる。禅問答は、喜劇調であっさりと次の話題に移行する。行き先を示す道しるべも露骨には示されない。だが、何処にも向かっていない主人公は、遠い処へ旅立って行く。読解の一助として、『詩集・マラッカ』のプロローグに示される達磨西来意の詩句をご紹介しておこう。

  西から来た達磨は何処へ向かったのだろう?
  達磨は何処へも向かっていない
  だからこそ
  あんなに遠い処まで辿り付いたのだ

 『血文字の遺言』は、『詩集・マラッカ』の深みにある円環構造の悟りとこの世の真理を物語化した長編小説である。主人公たちは、悲惨な因果を背負っている。しかしながら、空を行く鷹や水に遊ぶ鯨のように、自然の法則に溶け込んでいる。正に群雄ともいえる多くの登場人物は、無心の力に導かれ迷いの無い道を切り拓く。主人公の郷左六や上堂右近ばかりではない。悲劇のヒロイン静香であれ、謎の老婆・蔡菊江も同様である。脇役も多彩である。名僧・伊藤正三、経営の神様・上堂右情、大政治家・李総統、名刑事・赤城警部、影の総統・印立群などに総統府捜査部のエース・葉捜査官、鑑識のプロ・高大尉、太極拳宗家の跡取り・呉大尉という魅力あふれる三人の軍人が絡み、個性的な人物群が物語の骨格を支えている。又、七十二歳の苦労人・陸屋社長が怒りを力とした戦中派の人生哲学をしみじみと語るが、混乱した時代を生き抜いた人間群像の血文字の遺言とも読み取れる。今や伝説となった左六の祖父・山本五十六の人物像や、実父・郷左八郎の強烈な印象も時代背景を暗喩している。更に秀逸なのは特別出演の顔ぶれである。画家・パブロ・ピカソ、作家・サマセット・モーム、喜劇の王様・チャールズ・チャップリン、映画監督・フェデリコ・フェリーニら四人の天才が、大団円で強烈な印象を残しながら物語にふくらみと可笑し味を加えている。

 名邑十寸雄は、大らかな思想と遊び心に満ちた奇想天外なミステリーを堪能させてくれる。巨大な寺院を思わせるベートーベンの交響曲の様に丁寧に伏線を張った緻密な構成は、比類の無い完成度を示している。最後の一行を読み終えた瞬間に、作品全体に脈々と流れる数々の思念が、大海に流れ込むように蘇るだろう。個々のエピソードが連関している為、初読ではついサスペンスの面白さに引きずられてしまう。再読に耐えると云うよりも、二度三度と読み直す事によって幾重にも仕掛けられた文学的魔法に驚嘆し、新たな感銘を覚える作品である。

                  *

 推理サスペンスの大枠を要約すると、巨大な犯罪組織と戦う犯罪捜査官・郷左六と、二十年前に誘拐された幼い二人の子供、上堂右近と妹静香を巡る物語である。

 幕開けのシーンは郷左六の見る二十年前の夢である。ノスタルジア号の遭難と共に上堂夫妻と二人の幼児が行方不明になる。夢から覚めると、何も覚えていない。読者もこのエピソードを放念してしまう。後段でノスタルジア号の遭難が再び 描写されると、過去の記憶にある様な既視感を覚える。単に物語の先行きに対する興味だけでなく、巧みに織り込まれたタペストリーの様な作法に期待が生じる。
 
主人公の左六が「子守りの殺人事件」を解決するのに要する時間は正味十五分である(呉運転手は三十六分と言うが、それは待ち人の遅れを入れた計算である)。さりげない言葉から演繹的に謎を解く郷左六の特殊な捜査理論が示されるが、科学捜査理論の裏付けもあり、実に簡明に面白おかしく表現されている。犯人の圭氏が、巨大な詐欺・殺人事件に関与する伏線の張り方も抜かりがない。

 巨大な貨物が忽然と消え、陸屋商事支店長が自殺死体で発見される。横紙破りの捜査方法、話し中の電話を切る身勝手さ、独りよがりの冗談、余計な事は一切説明しない態度などなど、郷左六の傲岸な気質だけでなく、苦手とする印老夫人との会話にも「女の涙に弱い」という欠点にも不思議な可笑しみがある。一見無愛想な左六が、過剰な程の温情の持ち主である事が序々に明かされる過程と推理サスペンスが あざなえる縄の如く平行して進むプロットが洒落ている。

 犯罪グループの大掛かりな仕掛けは、サスペンスの常識を逸脱している。しかしながら、現実に類似事件の報告は多々あり、警察機構の捜査能力に限界があるのも事実である。長編と成る必然性は物語の現実性と深く関わっている。面白いエピソードが連続するが、港の荷揚げ人足として登場する煤に塗れた老人が秀逸である。エキストラの様な端役の老人が、事件の手掛かりを左六に伝える逸話が香り高いスパイスの様に効いて愉快である。呉運転手が「似ている」という藤原釜足は、戦後の日本映画を代表する名脇役で、観劇後も深い印象を残す名優である。古今東西の名作映画が湯水の如く登場するが、俳優の名が登場するのは、ジャック・レモン、チャップリン、ロバート・レッドフォード、それに藤原釜足の四人だけである。一見地味な名優・藤原釜足の名前を、世界的な映画人と並べるところに、作家の映画に対する深い思いや演技の本質への審美眼、それにも増して肩書きや名声に拘らない人生哲学が感じられる。「マイ・フェア・レディ」の題意が「たまげた娘」である面白さや、「バベットの晩餐会」の隠れたユーモアの絵解きなどにも、洒落た感性と共に国際的な視野が感じられる。死後神格化され熱狂的な支持者を多く持つ天才映画監督・アンドレイ・タルコフスキーの芸術論なども、水と炎のモチーフに関連した禅的な解釈が意味深い。

 殺人に使われる猛毒樹「海檬果」は、フィリピンでは「ケルベラ」とラテン名で呼ばれ死亡事故例が多くある。猛毒ゆえに海を渡り他国に花を咲かせるという特性を、著者は詩的に表現している。第二章で左六が「黄色い目のケルベラ」として語る逸話は、それだけで一遍のメルヘン童話となる様な感銘がある。革命で海外に追われ続けた謬の生い立ちに絡み、幼な児を守ろうとして逝った母の思い出が、暗黒の世界に君臨する謬と海檬果の関係を因果的に示している。

 第一章は、混沌を暗示する序章である。大掛かりな犯罪グループの手口と同時に、『血文字の遺言』という題名の意味が、読者を煙に巻くかの様に変化する。読者は当初、死者の残したメモを『血文字の遺言』と勘違いするに違いない。次第に何百万年もの時空を経た古代からのメッセージだと気付く。遺伝子に伝わる遺言から、「人類に伝わる底深い復讐心」「師から弟子へと伝わる教え」「禅の覚醒」と深みを増しながら、終末では、未来に繋がる遺言が暗示される。それは『血文字の遺言』の尽きた処にある。その言葉は、著者から読者に与えられた公案(禅問答で師から弟子に問われる質問)と言えるかも知れない。再読する読者は気付くだろう。作品全体に脈々と流れる思念の何もかもが答えなのである。論理を越えた作風と言えるが、思想に拘る訳ではなく正しい見地が作品の総体を包み込んでいる。

 左六を事件捜査に誘い込んだ陰の依頼人が李総統だと判明する章末は、より大きな事件を予感させて第二章に引き継がれる。陸軍の呉大尉が左六を補佐するが、ひょうたん顔の呉が見掛け程間抜けでは無く、拳法の達人として左六を助け、左六の苦情を緩和する人柄も飄逸である。左六と李総統、左六と呉運転手の会話はお互いに揚げ足取りをする可笑し味があり、上質の幕間狂言となっている。作中人物を笑わせる冗談はごく稀である。相手は白けたり、ポカンとしたり、無視したり、反発する。シニカルで感情を抑えた表現は、笑いの尽きたところにある冗句である。毒を飲んだ三宅がフランス語でデジャヴュと息を洩らしながら息絶える場面をブラック・ジョークと取る向きもあろうが、死の実態を表現する冷徹な話法には背筋が寒くなる程の実感がある。


 第二章も左六の夢で始まる。意識下の夢は「禅の修業と中核意識の関係」を暗示する重要な要素だが、第一部に登場する三宅の錯綜した夢と異なる表現が、左六の強靭な精神力を暗示して興味深い。禅の修行ゆえに中核意識を制御する左六の夢は、現実以上に理路整然としている。連続殺人事件の捜査を依頼する竹中弁護士との会話は、左六の極端な人柄を示している。左六は一般人には優しい。謙虚に過ぎると言っても過言ではない。圭夫人に対する遠慮した物腰、三宅や圭氏の様な利用された共犯者に対する同情などを見ると分かる。ところが、権力者や悪人に対しては呵責ない対応を取る。尊敬する李総統に対する失礼な態度は父子の様な堅い絆に根ざした冗談としても、後に登場する吉岡や死刑囚の金を横領しようとする竹中に対しては情け容赦ない対応を取る。その変幻描写が笑いを誘う。連続殺人事件でありながら、全編を流れる喜劇的な筆致には作品を包み込む大らかな呼吸が感じられる。
 
 七日後の死刑執行から朝西正を救出する捜査が開始されると、物語は佳境に入る。警視庁の遠山刑事部長は左六の幼少時代からの知己であり、名僧・伊藤正三と左六を逮捕して牢屋で酒を共にしたまじめで一本遣りのキャラクターである。推理小説にはショーロック・ホームズ以来間抜けな警官が登場する不思議な伝統があるが、著者は赤城警部や葉捜査官も含めて人間的な魅力を丁寧に書き込んでいる。過剰捜査や暴行罪で収監中の名物男・高大尉が呼び出され、本格捜査チームが勢揃いする。
 
 悪役の造形は型に嵌るものだが、悪の権化と云える謬会長の語る言葉には、成る程と納得させられる政財界の現実味と洒落たユーモアが感じられる。謬を背後で操る不知火は、左六の長年の宿敵だが、天才少年・左六の出現により財閥の跡取りである不知火青年が狂気に侵されてゆく過程が、心理的な背景と共に終章で描かれている。不知火が左六を天敵として付け狙う狂った心理が、血文字の遺言の裏面ともいえる中核意識の狂気なのである。不知火の師としてダリソンという名の神秘画家が登場するが、斜めから見ると髑髏が浮かび上がるからくり絵は、実際に絵画の歴史に残されている。

 予備捜査も終わり、謬会長の娘愛菜と左六がホテルのラウンジで語り合う場面は、複層した興味が同時進行する転換部であるが、巧妙な構成に導かれながら読み進んでしまうであろう。葉捜査官への催眠術、愛菜の怪しげな言動、愛菜の育ての母と祖父の殺人事件、ケルベラの逸話などに映画芸術論まで入り混じりながら、事件のヒント 8 1/2 へと繋がってゆく。愛菜から左六に対する愛の告白からロマンスが生まれるかと思えば、投薬、真犯人の疑惑、殺人、誘拐事件と予想外の展開となる。愛菜の母と祖父が殺された迷宮入りの事件を左六がほんの数十秒で解決するシーンにも、オフ・ブロードウエイ風の洒落た喜劇タッチの台詞にも、作家のいくつものポケットにしまわれた豊かな感性が顔を見せる。その後、左六の部屋に小型ミサイルが打ち込まれる場面転換も死に至る刹那の夢を見るというレトリックも、予断を許さない破天荒な着想である。自然な文章の呼吸と緻密な伏線から卓越した筆力がうかがえる。
 
 左六は束の間の夢の中で、波乱万丈の人生を思い出す。孤児院から左六を連れ出し、様々な教えを授ける上堂右情の姿は日本の父親の理想像であろう。巻末の著者献辞文に「亡き父と伊藤正三翁の思い出に奉げる」とあるが、深い余韻を残して感銘深い。育ての親ともいえる老住職の死を契機に、左六は墓前に咲いた赤い花から悟りの門を垣間見る事になる。思い出のシーンは、突然回顧的な白黒映像になる感がある。伊藤正三、上堂右情という二人の師と、幼いやんちゃな左六との遣り取りはほほえましく、読者の心を魅了するであろう。牢屋で酒を飲む逸話や、二人の巨人の可笑しな禅問答は、涙と笑いの名場面となっている。

 上堂右情の語る禅思想の歴史と分析心理学の関係には、学説や現代科学の限界を超えた深い観点が感じられる。学者の使命は論証する事である。それが限界とも成り得る。論証できない事実は、未知の世界として残さざるを得ないのが学者や学術書の良心とも言える。『血文字の遺言』には、著者の造語と推理解析が多く見られる。禅の瞑想から意識下に入る心理学理論は、ユング理論を超越しているが、ヨーガの様な論理とも似て非なるものである。禅と心理学を科学的に解析しないと出ない発想である。現代心理学理論の範疇を越えた推論ゆえに「中核意識」と云う造語で表現されている。他にも鋭い読みがある。暗号解読防止機【血文字】が登場するが、最新の開発課題である核融合理論を越えて人間の脳波を応用すると先読みしている。小説と云う表現世界ならではの発想とも言えるが、科学の進歩と共に何百年か後に実現する可能性の高い技術であり、人類を超えて機械が支配する未来の恐怖に現実味がある。SF小説とは一味異なる実感である。逆に、この作品からヒントを得た研究が始まるかも知れない。

 ノスタルジア号の遭難は、一八七二年に実際に起きたメアリー・セレスト号の遭難事件をベースにしている。その後何十年にも渡り捜査が続けられたが、真相は闇の中である。コナン・ドイル、H・イネスの小説や、オーソン・ウェルズ、M・アンダーソンの映画で取り上げられた逸話だが、難しい題材のせいか世評を得るには至っていない。名監督アルフレッド・ヒッチコックでさえ「心躍らせるすばらしい発端だが、クライマックスを頭に持ってくる訳なので、上手くいかない」と映画化を諦めた題材である。本作では、まず夢の中の記憶として伏線を張り、第二部でも遭難事件の描写から過去の禅物語に遡らせるという心理的衝撃を外すレトリックが使われている。事件の中心描写の前後に別な興味が連鎖する構造の為に、遭難事件そのもののインパクトが上昇機構の流れに溶け込んでいる。長編小説ならではの、巧みな構成である。大きなショックである遭難事件を夢に現われる過去の事件として緩和する描き方にも、著者の確かな計算が感じ取れる。

 第三部の発端は左六と黄住職の会話に深みがある。黄住職の言葉にある「十万諸仏等無差別。法心遍満宇宙」という言葉が印象深い。舞台となる光明寺は台北郊外の山奥に実在する寺であるが、主要な場面は大尖山の中腹にある聖徳宮が使われている。台北市街、陽明山、北海岸の海を見渡すパノラマの絶景と、屋根に居並ぶ三仙の像が印象的な寺院である。

 十億ドル強奪事件のからくりは、これだけでサスペンス小説一作になる様な緻密な題材だが、著者はいとも簡単に惜しげもなく片付けて、左六と右近の二十年振りの再会シーンへと移行する。誘拐された五歳の少年右近は、元々天才と呼ばれる素質の持ち主であったが、今は怪物ともいえる程のカリスマ性を持った軍団のボスに成長し、犯罪組織を壊滅する目的で軍事基地を建設していた。戦争前夜、左六は右近の暴走を止め様とする。ところが、右近は更に大きな構想で平和な解決策を準備していた。二人の心は解け合い、一致団結して犯罪集団との戦いに臨む。李総統の協力のもと、犯罪グループの共犯者を一斉逮捕しようと国際会議を開くが、不知火と謬はその逆を付いて李総統暗殺と、会議の参加者全員を殺害すべく円山ホテルの爆破を画策していた。
 
 その後の解決編は、解説を先にお読みになる読者の為に御遠慮する他ない。謎解きの鍵は、フェリーニの映画 「8 1/2」に現われる予言者の言葉と、さるすべりである。単に推理劇のヒントがあるだけではない。「8 1/2」 と言う名作映画には、主題は主題無きところにあるという禅意が隠されている。さるすべりと言うヒントも、言葉に意味は無いという禅思想に根ざしている。「名前などに拘ると真理が見えなくなる」と言う教えが二人の人物から左六に教授されるが、そこにも物語全体を包む『血文字の遺言』のモチーフが隠されている。天才捜査官・左六が、何故さるすべりの謎に気付かないのかと言う仕掛けの中に、禅物語たる真骨頂がある。緻密なだけでなく、深遠な優れたプロットである。
 
 右近は犯罪グループ殺害の罪を認め、死刑台の露と消える。右近の真情を伝える師弟の問答には一般常識とは異なる武士道の真意が表現され印象深い。死に臨み右近が引用する「災難を避けたければ災難に遭うに如かず」という良寛禅師の言葉が、言葉の表現を超えた禅意を示して興味深い。右近の真意は「死を避けたければ死に対峙するに如かず」という事である。右近は矛盾した概念の総体を放下して、泰然と死に臨む。「もう何も要らない」と言う右近の言葉は、『詩集・マラッカ』でも詩篇の要に使われている。その後、右近の死体が消え去り、棺には臨済録と紅白の花が残される。主人公の死去で本編は終了し、魂の静謐と共に作品全体を包む覚醒感が大きな余韻として残される。「8 1/2」のラスト・シーンを思わせる白づくめの登場人物が、作品の全編に流れる夢のモチーフを象徴している。碧い海に航跡を残しながら、ノスタルジア号が去ってゆくシーンには、詩的な美学が感じられて深い感銘を覚える。 

 ところが、本編が終わった後のエピソードが更に面白い。おまけの様なエピローグで、右近の死体が消えた謎が解き明かされる。同時にこの事件全体を勝利に導いた真の功労者が判明し、その大きな存在感で主役の左六と右近を食ってしまう。左六と右近は、事件を解決したヒーローである。しかし、魅力この上ない伝説上の怪人が姿を現すと、事件の真相が根底からひっくり返されるのである。左六は、悪戯好きな人物にみごとに騙されたと知り、地団駄を踏む。右近は子供扱いされ未熟者と一喝される。にも関わらず、二人揃って一切の抵抗も反論も諦めて謎の人物の仕掛けに従うプロットが痛快で可笑しい。そこに絡むのが、ピカソ、モーム、チャップリン、フェリーニと言うそうそうたる天才芸術家達である。爽やかな幕切れである。大きな覚醒を呼び起こす読後感がある。ハッピー・エンドという様な表現とは異なる次元の、体系的な思想に基づいた終幕と言える。

 ミステリーとしては分かり易い構成である。多くの事件が起こるが、まるで「五分間クイズ」の様に片っ端から真相が解明されるプロットは、一つの謎を最後まで引きずることなく連続する小話が連なりながら漸増するサスペンスが合流して大きな流れとなる。サスペンスの趣向は冒頭から終末まで見事に上昇構造となっており飽きる事がない。長編小説でありながら、読者は軽妙な推理劇の波と喜劇的な要素に引きずられて一気に読み切ってしまうだろう。そこに長編小説ならではの様々な面白さがちりばめられている。名優ジャック・レモンの逸話と禅思想を関連付ける解釈、誤解されている「易経」や「聖書」の隠れた真意、禅の中核意識と論理心理学との比較、古典的フランス料理とワインの味わい、素材を生かす日本料理の醍醐味、多彩な毒物の恐怖、天才バイオリニストや日本の小唄の妙味、白刃に止まる蝶の静謐で描く武道の美学や無刀取りの極意、法と正義の真意、自筆の作品さえ贋作と評する天才・ピカソの芸術観、ストーン・ヘンジに潜む古代の謎、推理理論の解体、自然の法則に触れるゴルフの精神と禅思想との関わりなどに加えて、日本人本来の美徳や、孤独・愛・悟りの実相が虚飾を排しておもしろ可笑しく語られている。著者は禅思想も西欧文化もあるがままの姿を描く。小難しい表現はどこにも無く、素朴極まりない文体である。

 優れたエンターテインメントであり、高度な哲学小説であり、心に迫るヒューマン・ドラマでもある。何十種類もの美学を取り揃えた豪華な宴席の感がある。この作品の全貌を語り尽くそうとすると、読者は混乱するだろう。論理的な分析を、主題なき処にある主題が拒否しているゆえに、評論の困難に行き当たるのは小生だけではあるまい。余りにも単純な言葉の深奥に、人生経験と深い思索を経なければ捉えようのない真理が潜んでいる。

 修辞を飾る訳ではなく、自然と現われる研ぎ澄まされた確かな表現が多い。作品の奥には、真剣勝負ともいえる創作態度があるに違いない。技巧を捨てた技巧、思想表現に重きを置く作風が底流にある。正しい見地の実相に、著者の深い推敲と筆の力が集中している。苦節何十年の作家修行というような形容とは異なる次元にいる作家である。 

 俗世の流行は勿論のこと、時代背景や社会環境などにも拘らない作品である。シンプルこの上ない文体が、逆に驚嘆すべき著者の筆力を示している。「神筆古今の星雲をつらぬく」という形容こそが、この作品にふさわしい。


 解説はさておき、著者の名邑十寸雄に付いて語るべきかも知れない。と言うよりも、名邑十寸雄という作家の個性に、魅力に溢れる作品の秘密がある様な気がしてならない。

 名邑十寸雄の個人情報は、前歴も含めて公開を禁じられている。先ずこの点を、お詫び方々御理解頂きたい。十八歳から小説を書き始め、『血文字の遺言』程度に完成された小説が約二十作品ある。ストイックで周到な数十年の円熟期間を経た後、満を持して本格的な作家活動のスタートを切った。作家個人の情報は、それだけである。

 三日間に渡って取材に応じてくれた内容は、殆どが一般芸術論に限られているが、作法に付いては「別に特許申請している訳でもありませんし」と惜しげもなく語ってくれた。若い世代に作法を伝え様とする大らかさも感じられる。「今になって本格活動を始める事情は」と聞くと、「年齢は死亡時から逆算するもので、未だ三十台後半と思っています」と、作中の印立群の台詞が返ってきた。ぎょっとして恐縮すると「冗談です。もう年だから、どの作品もこれが最期と思って書いています」と、これも本気とは思えない冗談で切り返される。人をからかう性癖があるのは間違いない。「この年になってしまったのは、作品の円熟を狙う基本技法が原因です。小説はワインの様なもので、長く寝かせると味が出てきます。一年寝かせた作品よりも十年寝かせた作品の方が優れています」。一度完成した作品を何年間か放置するのだそうだ。気の長い話である。師と仰ぐ方々からの教えと聞いている。文学だけでなく、音楽、映画、絵画、落語、武道、歴史、科学、哲学と数え上げるときりがない程の話題を、まるで少年の様な興味を持って語ってくれた。そのどれに付いても、あいまいな表現はなく研究の深みが感じられる。

 「一編の小説の為に、わざわざ台湾までお越し頂き有難うございました」と言う謝辞に対して「ドストエフスキーの処女作を読んだ評論家が、夜中に作家の家を訪ねたのと同じ興奮を覚えた」と説明すると、「古典と言われる作品にも、駄作が多いものです。真理は普遍的なもので、時代と共に主題の評価が変わる名作はありません。主義主張を芸術と勘違いする作家には興味がありません」と言うそっけない返事だった。「影響を受けた人物」と言う質問には、ソフォクレス、ゲーテ、臨済、鈴木大拙、モラビア、武満徹、ゴッホ、三遊亭円生、九鬼周造、山本周五郎、黒澤明などの名前が淀みなく上がった。映画の質問となると、タルコフスキー、ジョン・フォード、フランク・キャプラと数十人の名前が並び留まるところがない。「日本の偉大な映画俳優」はと聞くと、「三船敏郎、勝新太郎、原田芳雄、澤村藤十郎」と即答が返って来た。飛びぬけた存在感のある名優ばかりである。

 つれづれ話の合間に語ってくれた創作秘話には、後進作家の参考となるものもあろう。「文体は修辞とは異なり、思想と一体となった作法の要です」と言う確かな文体論。「言葉そのものに深い意味は無い。言葉の連関よりも矛盾や反発作用が文学の生命」と言う詩論。「伝は覚である。教わる側の自覚が全て」と言う教下別伝理論。「言葉で感銘や感動を表現するのでなく、そういう表現を丁寧に削り取った後に残る核心で覚醒を表現する」と言う禅文学の基礎理論。いちいち感心すると「どれも過去の文人や禅僧の受け売りで、私の発見など何一つありません」と、あっけない返事が返って来た。小生の熱い思いに、肩透かしを食らわせて愉しんでいる様にも思える。喩え真情であっても、人から褒めれれるのが嫌いなのは確かの様だ。お世辞が嫌いな郷左六の、生みの親なのだと納得せざるを得ない。

 「欧米の中途半端な影響を受けた現代の作品は読まない」と言うので「同時代の作品から学ぶ点はありませんか」と聞くと「或る高名な作品の一ページだけ読んだ事があります。完璧で僅かな隙も無い表現でしたが、ニページ以降は読む気がしませんでした。西洋哲学と禅思想が水と油の様に異なる様に、作家には個人の思想に根ざした文体があります。文体というのは、言葉の群れを包む込む呼吸であり黄金の均衡が必要です。修辞とは別次元の、作品の生命とも言えます。思想の無い作品や異なる思想の修辞法だけ影響を受けると、原点に戻るのに無駄な努力をせねばなりません」と説明してくれた。文体と格闘しながら、今のスタイルに至ったという深い印象を受けた。若い作家にも参考になる言葉かと思う。

 ひとつだけ個人的な癖として説明したのは「一つの作品を執筆する時に、一つの楽曲を想定して書く」と言う習慣だった。盲目の乞食の娘の目が開く話は「バッハのアリア」。何十年も監獄にいる天才指揮者が奇跡の音楽を奏でる話は「ドビッシーの海」。イタリア貴族の破滅と覚醒を描いた作品では「ベルリオーズの幻想協奏曲」。「詩集・マラッカ」は、絶望、静謐、覚醒という三つの構図を持つ「ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第二番」をイメージしながら書き上げたと言う。

 『血文字の遺言』はと聞くと、「ベートーベンの交響曲第九番の構成を模して書きました」と言う返事が返って来た。「第一部は混沌。第二部の序章はスケルツォ、左六の子供時代の思い出はアダージェット。最終楽章では複数のモチーフが葛藤しながら主旋律が姿を現わし、終楽章は主人公の覚醒が龍の様に空に舞い上がりながら異常に速くなるテンポ・ルバートで仕上げました」と楽しそうに説明してくれた。執筆の間中フルトベングラー指揮の九番を聞き続けたそうである。指揮法の話となると、フルトベングラー、アルトューロ・ニキシェ、リヒャルト・シュトラウスなどのエピソードを立て板に水の勢いで話してくれた。空港まで送る車中で、幻の演奏「ベートーベンの交響曲第十番」のテープを聴かせてくれた。そんな曲が存在する事自体、始めて知らされた。死後発見された遺稿を繋ぎ合わせて演奏したものだそうだ。「武満徹の音楽に似ています。これがベートーベンの最高傑作かも知れません」という言葉に、音楽に対する深い造詣が感じられた。

 『血文字の遺言』を書いた動機に付いては、明確な答えが返って来た。「中国から日本に伝わった本禅の精神を西欧の方々に理解して頂き、アジアの若者達が禅思想の歴史に誇りを取り戻す事を願いながら書きました。精神世界の正しい姿は、西欧の論理哲学からではなく、禅思想から生まれます」という確たる答えである。平和思想が根本にあり、外国語の出版が元々の希望である。「禅思想は名前だけ冠した呪術的な宗派や、学者や僧侶の方々の解説が多い為に誤解されています。臨済録にも完成訳本は無い様に思います。本禅の真意が理解されるには、まだまだ時間が掛かります」という説明に深い印象を受けた。「何故推理小説なのか」と聞くと「将来指導者となる、若者達に読んで貰いたいからです。娯楽小説なら若者達も読むでしょう」と言う。推理小説はお好きですかと質問すると「コナン・ドイルは歴史学者で筋がしっかりしているので好きです。本格推理小説と言われる謎解きは苦手です。昔エラリー・クイーンの本を薦めて貸してくれた友人がいました。長い話を最後まで読んだ事がありますが、余りにも詰まらなかったので費やした時間に腹を立ててゴミ箱に捨てた経験があります。その頃は、哲学書に傾倒していたので悪い事をしてしまいました」と反省気味に言いながら「しかしながら、再読に耐える程の面白い推理小説は稀なので、自分でも愉しく読める様に書きました」という、本音とも冗談とも付かない返事が帰って来た。

 『血文字の遺言』の対象となる読者層は「小学校高学年から老齢の方まで」と言うので「小中学校の生徒には難しいのでは」と反論すると「子供には大人以上の創造力と理解力があります。大人扱いすれば良いのです」と反論の反論を返されてしまった。言われてみれば、その通りかと思う。「三歳の子供の頭の中には、宇宙の様に広大で理路整然とした自由な世界が広がっています。ところが、皆学校に行くと素晴らしい才能と自由な心をハンマーで壊され、足かせを嵌められ、牢屋に繋がれるのです。檻の中で虚勢される家畜と同じです」と言う。「冗談としては面白い表現ですが、学校教育を否定する意見は言い過ぎではありませんか」と反論すると「フェデリコ・フェリーニの言葉です。文句があればご本人に言って下さい」と見事にかわされてしまった。

 今後の出版予定に関しては、続編の『E&Oホテル殺人事件』、郷左六の短編集、禅文学、SF大作、戯曲、長編童話、心理喜劇、長編詩集、脚本とその抱負を語ってくれた。隠す事もなく、質問に合わせてひとつずつ粗筋を話してくれた。そればかりか「あなたも、お若い頃は作家ではないですか。お好きな話があれば、どうぞ使って下さい」と気軽に言うのにはたまげた。どれも奇想天外な物語ばかりで、その才能には舌を巻くばかりであるが、「思い付きばかりです」と気の抜ける様な返事である。

 西欧の悲劇的手法と精神世界に起こる奇跡をベースとしながら、禅や葉隠れ精神を主題とする作風は、日本文学の伝統が新たな姿で蘇る感がある。更に感銘を受けたのは、虚名不要とする人生観である。名声と言う言葉は、名邑十寸雄の辞書には無い様である。

 取材を終えて帰国した後、もう一度全編を読み直してみた。底抜けに面白い。繰り返し読むと、隠れた仕掛けが見えてくる。例えば「正三と左六」が「赤い花」を育てる逸話である。六歳の左六少年は「自分が花を育てている」と思っている。だが良く読むと、「正三」が「左六と赤い花」を育てていると言う二重描写である。伊藤住職は、花の手入れを命じながら左六に禅の心を教えている。「いずれ大輪の花を開くだろう」と言う正三の言葉は、左六がいずれひとかどの人物になると云う思いを伝えているのである。後に庭に赤い花が咲き広がる時に、花と共に左六を育てた正三老人の心が現われる。左六の心が開かれる門出である。その後、終幕でさるすべりの花に隠された「血文字の遺言」の真意を象徴する。左六のより深い悟りを示す名場面である。

 心理学的な特殊効果もふんだんに使われている。様々な修辞技術と文体の仕掛けにより、大きな可笑し味が悲劇的な作品を包んでいる。悪戯好きな神様が、宇宙の彼方からけらけらと笑う声が聴こえてくる。この作品そのものが、名邑十寸雄の遊び心から生まれた様にも思える。取材の回答も、著者にからかわれていた様な気がしてならない。

 そういえば、別れ際に「貴方の作品の中で最高傑作はどれですか」と質問した。当然、完成直後の傑作『血文字の遺言』と言う返事を期待しての事である。すると「次の作品」と言う返事が返って来た。粋な回答に関心して「それは明言ですね。感銘を受けました」と言うと「チャップリンの有名な言葉の盗用です」と、最後まで人を食った返事である。どこまで本気でどこまで冗談なのか見当も付かない。

 明治、大正、昭和初期の文学ファンは、名邑十寸雄を読む醍醐味を知らない。気の毒な様な気がする。若者達には、これから続々と発表されるであろうこの作家の作品を丁寧に読む事をお奨めする。『血文字の遺言』ただ一作だけでも、精神宇宙を包括する大きな世界観がある。

 ひとつだけ言える事は、『血文字の遺言』の随所に、作家の面影が色濃く刻み込まれていると言う確実な印象である。作家が書くのであるから、当たり前過ぎる程当然の事である。他の小説であれば、それ程驚くに値しない。しかし、この作品が表現する壮大無限な宇宙と、見事に表現された『主題なき処にある主題』を思う時、この作家が歩んだであろう強靭な生き様、そして小説の枠を超えた筆力に驚嘆せざるを得ない。可笑しな悪戯もその一部分である。

 僅かなりとも個人情報を含むこの解説内容は、著者の事前了解を取っていない。著者が影響を受けた師のお名前も解説の中にあるが、それは解説者の謎解きとしてお許し頂きたい。取材でからかわれたお返しと言う様な悪意はないが、一寸真似してみたい衝動に駆られたのは、悪戯好きな著者に半分以上の責任がある。著者からお叱りの無い事を祈るばかりである。

(了)



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